ミトコンドリアは、エネルギーの源(ATP)の生成や、糖や脂質の代謝といった、細胞のなかの「エネルギー産生工場」として働く重要な器官です。その代謝の鍵となるのは酸素分子で、取り込まれた酸素はエネルギー産生の駆動源として消費され、水(H2O)として最終的に代謝されるのですが、その一部はいわば不完全燃焼のような形として残ります。これが活性酸素種、いわゆる「酸化ストレス」として知られる活性の高いラジカル分子で、DNA損傷やタンパク質の不活性化などの負の影響をもたらし、様々な障害をもたらします。
これに対抗する形で、細胞内やミトコンドリア内には様々な抗酸化機構が備わっています。活性酸素種の酵素による分解や、ビタミンCやグルタチオンの酸化還元反応を利用した解毒など、その機構は多種多様です。つまり、この多様な抗酸化プロセスこそが、細胞やひいては生物の健康を司る一因といえるほど重要で、緻密かつ高度に進化してきました。
そのなかで近年、『多硫化物質』と呼ばれる、極めて強い抗酸化機能を有する物質が発見され、注目を集めました(Ida et al. PNAS, 2014; Akaike et al. Nat. Commun., 2017)。硫黄原子は、幅広い酸化数をとる酸化還元を受けやすい元素であるため、硫黄がたくさん連なった『多硫化物質』は、化学的多様性に富んだ新しい抗酸化物質であると期待されています。さらに、多硫化物質と呼ばれるものは小分子に限らず、実はタンパク質のシステイン残基も多硫化されることがわかり、さらにその多硫化物質の産生はCARS2というミトコンドリア内在タンパク質が担うことまで明らかになってきました。このように、高い抗酸化性を有する物質とその代謝系の存在は、これまでの酸化ストレス研究や老化研究の概念を刷新しうる、未知なる可能性を秘めています。
しかし、これらが果たして生物学的にどのような意味をもつのか、ミトコンドリア機能と深い関係があるのか、老化現象とどのように関連するのかなど、ほとんど明らかにされておりません。その一因として、多硫化物質を精密に分析する手法がいまだに確立されていない点が挙げられます。そこで私たちは、多硫化物質を検出・計測できる系を確立し、その未知なる機能の解明と、健康長寿研究への展開を目指しております。